あなたは"運命"を信じますか?~すべての出来事には意味がある~

ことばの深追いシリーズ②
~すべての出来事には意味がある~

 出だしからなんだか怪しい宗教の勧誘か何かかと思われた方もいらっしゃるかもしれませんが違います(勧誘されに来た方にはmilet教への入信をおすすめします)
本日は、私の座右の銘でもある「すべての出来事には意味がある」という言葉について、深追いしていきたいと思います。この言葉を言い換えると「運命を信じるか否か」という話になる気もしたので、気づいたらこんなタイトルになっていました。

 以前、miletおすすめシリーズの記事の中でも書いたことがありますが、私は自分自身の身に起こることに、"偶然"というものはないと思っています。イコール「運命を信じるのか」と言われると、少し返答には困るのですが。"運命"="必然"という意味であれば、答えはイエスです。運命を信じているというより、すべては必然だと思っているから。私の身に起きた出来事・私の周囲で起きて私に何らからの影響をもたらした出来事が、この地球上の歴史の中で「起こるべくして起こったのか」までは凡人の私にはわかりませんが、私自身にとって「出会うべきときに、出会うべくして出会った出来事」なのだとは思います。そして、出会うべくして出会ったからには、必ずそこには意味がある。つまり「すべての出来事には意味がある」です。

 この言葉、特にどこかの誰かから聞いて、共感したわけではないのですが、調べてみると何人かの著名な方が同じようなことを言っておられるようです(私から生まれた名言じゃなかったのか。残念)
中でも、ニュアンスが私の思っているものに近いなと感じたのがこちらのお二方の言葉です。

今後もさまざまな困難があるでしょう。でも、そこに意味を見出し、価値を決めるのは自分。すべての出来事には意味があり、それを信じて乗り越えていこうと思いました。

宇宙飛行士・山崎直子氏 インタビュー

すべての出来事には意味があるわ。生きていくことは、その意味を理解すること。

All events have a purpose. The job in life is to understand the meaning.

スザンヌ・サマーズの名言

 私がこの考えに初めて行き着いたのは、高校生のときでした。高校1年生の1年間は、私にとっては人生のどん底とも言えるほどの暗黒期。どん底にいるときって、精神活動が鈍くなるからか、私の場合はあんまり記憶がないんですよね。誰と同じクラスだったかとか、文化祭や体育祭で何したかとか、どんな授業があったかとか、ほとんど覚えていません。独りよがりな大人の敷いたレールの上で、やりたかったことを諦めて、通いたくもない学校に通って、ただひたすら無意味に1日1日を過ごしているように感じていたことだけは覚えています。

 そんな私の人生が変わったのは、あるひとりの先生との出会いでした。私の人生において、唯一無二の"恩師"と呼べる人であり、今でも「今までの人生で出会った一番大切な人は誰?」って聞かれたら、一番に顔が浮かぶ人。今はもう接点もなく、どこでどう過ごされているのかもわからないけれど。それでも私の心の真ん中にずっといる。周りの大人に絶望して、自分自身にも失望して、大切なものも失って、私の人生が私のものではなくて、将来に何の希望もなくて。そんな無意味に思えていた人生で、初めて「こんな大人になりたい」と思えた人でした。本当のやさしさを教えてくれた人。本当のやさしさは、優しいだけじゃない、厳しいときだってある。いろんなかたちがあるけれど、ただ確かなことは、そこには何より確かな相手に対する"思いやり"があるということ。それが本当の"やさしさ"。

 独りよがりな優しさや、上辺だけの優しさや、保身のための優しさ…そんなものばかりを振りかざして私の人生に入り込んでくる大人しか知らなった私に、「この人みたいな人間になれるのなら、私の将来も捨てたものじゃないかもな」って思わせてくれた人。そして初めて、私の人生を、他の誰でもない私自身のものだと認めてくれた人。先生に出会わなければ、今の私の人生はなかったと、断言できる。

 そんな大切な人に出会えたのが、高校2年のとき。当時、先生に会うことだけを楽しみに過ごしていたけれど、そんな中でいつの間にか友達との楽しい時間も増えていて。高校2年生、3年生のときのことは、ちゃんと今でも覚えてる。人生って不思議だなと思いました。自分の心の在り方ひとつで、こんなにも変わるなんて。

 そして忘れもしない、高校3年生の卒業式の日。私の人生に勝手にレールを敷いて、どん底に突き落とした張本人ともいえる人が、形式上だったけど感謝の言葉を口にした私に対して言った言葉。「私の言う通りにして良かったって思ってるってことだよね?」って。全身の血が凍り付くかと思った。私の中にあるすべての温かさをもつ大切な何かが一瞬にして消え去って、またどん底に落ちちゃったかと思うくらい。でもその瞬間、浮かんだのは先生の顔。先生の笑顔、やさしさ、先生がくれたたくさんの大切なもの。先生のおかげで、もうどん底で這いつくばってるだけの私じゃなくなってたみたい。そのときにふと思ったのが「決して望んだ道じゃなかったけど、つらい出来事ばかりだと思っていたけど、それがなければ、ここに来なければ、先生には出会えていなかったかもしれない。すべては先生に出会うためだったんだ」ということ。"別の道を進んでいたら"どうなっていたか?今よりいい人生になっていたか?別の道よりこの道を進んでよかったか?そんなことは誰にもわからないし、私自身にも一生わからない。だけどそれでいい、って思った。この道を進んだことで、先生に出会えたから。

 これが、私が「すべての出来事には意味がある」と感じた最初の瞬間。そしてそれからは、本当にたくさんの不思議なめぐり合わせがあって。ずっと前から知っている相手と、急に距離が近づいて家族みたいな存在になったりすることも一度や二度ではなくて。その度に思う。「今、この人と距離が近づいたことには必ず意味があるな」って。それは、相手が私を必要としていたり、その逆も。そしてそんな人と疎遠になったりすることもあるけれど「あ、これはお互いに今は別の人が必要な時期なんだな」とか「またお互いが必要な時期になったら自然と近づくだろうな」なんて感じに、ゆるりと構えていられる。どっちにしても、ただの偶然に思える出来事ばかりだけど、きっと必然なんだなって、今は限りなく確信に近い感覚をもっています。

 もしこれから先、また何かどん底に落ちるような出来事があったとして、そのときにもし"必要とする"誰にも出会えないことがあったとしても、「これは自分の力で乗り越えないといけないことなんだな」っていう風に考えることができると思います。そう考えると、この「すべての出来事には意味がある」っていう考え方はつまり、すべてのことを"受け入れる"ということにつながるような気がしています。

 そしてその後の人生で出会った様々な人やものに教えてもらったのが、このブログの記事でも何度か紹介している「価値観も考え方もすべて"人それぞれ"」であり「そのすべての人、その人たちのもつ様々な考え方、その人たちが出会ってきた経験のすべてが、ひとつひとつ・一人ひとり誰とも違う尊いもの」なのだという考え。

 この考えと、「すべての出来事には意味がある」という考え方が今の私の人生の中でしっかりとつながって、私の根っこであり芯になってくれている。そしてそんな根を張りはじめた私の人生にめぐりあってくれたのが、miletちゃんとmiletちゃんの音楽たち。私にたくさんの新鮮な気づきや出会いをくれる存在でありながらも、根っこの部分は共鳴するように感じることも多くて。とっても不思議な感覚だけど、これもすべて「意味がある」こと。
 私の人生にとっては、miletちゃんがデビューした2年前ではなくて、今から約4か月前、紅白歌合戦のステージを控えてそわそわしていたであろう時期のmiletちゃんと出会ったことに意味がある。私がmiletちゃんに出会ったことが「miletちゃんの人生にとっても意味がある」なんて自意識過剰な思考は幸い持ち合わせていない(笑)けれど、この出会いが完全に一方通行だなんていう風には思わせないのが、miletちゃんという人。ファンと心を通わせること、ファンの言葉が自分に届いているということをしっかりと伝えて、実感させてくれるのがmiletちゃん。そんな素敵な人と、私の人生のこの時期に出会った意味は何だろうか。それを私は一生かけて探していくの。本当は、答えなんてわからなくてもいいけれど。意味や答えがわからなくたって、miletちゃんと出会ったことで私の中に、私の人生に、たくさんのすてきな気持ちやしあわせな瞬間が溢れているし、これからも溢れていく、そのことがすべてだから。でも、好きなもの、大切な人について考えるのってすごく楽しいし幸せな時間だから、答えなんてわからなくていいと思いながらも、きっとずっと私は考え続ける

 そしてこの人生が終わるその最期の瞬間に、「やっぱりあの出会いは私の人生になくてはならないものだったな。おかげで幸せな人生だったな」って思えたら、私にとってはそれ以上に幸せなことなんてないなと思います。
 人生の最期をどんな風に迎えたいか、最期にどんな風に思える人生を送りたいか、そういうのも人それぞれ。前職での仕事柄、人生の最期を迎える人たちと関わることも多かったので。いろんな方の、人生観や、最期の迎え方というものを目の当たりにしてきました。悔いなく"しあわせ"という言葉や思いだけで終われる人生ばかりでないことも、身をもって理解してきました。そういう経験もすべて意味をもって、私の一部になって、たどり着いたのが今の私であり、私の価値観、考え方。これからまた、たくさんの出会いや経験を経て、何度も形を変えていくのかもしれないけれど、今こんな風に考えている自分、嫌いではないので。きっと根っこの部分は変わらないと思います。miletちゃん含め、私の人生に存在している"大切なもの"に対するこの気持ちも、愛も。

 ということで、今回は私の「人生で初めて出会った座右の銘」ともいえる「すべての出来事には意味がある」という言葉について、深追いしてみました。何か月後、何年後、何十年後、この記事を読み返すことがあった時に、そこにいる私は、今の私と同じように感じて同じように考えている私なのか。はたまた全く違う考え方をもった私なのか、わかりませんが。どっちにしてもおもしろい。変わらずにいることも、変わっていくことも、私の気持ち次第。そしてそんな私をつくっていってくれるたくさんの出会い。これからもまだまだ素敵な出会いがたくさん待っていることを期待しながら。今日も愛しいものたちを愛でながら幸せな時間を過ごすこととします。




 最後に、miletちゃんの最近の「愛しすぎる」ツイートたちを載せておきます↓↓

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。